2017年08月08日
やっとできたお弔い
自分の人生を変えてくれた人。あの時、この人に出会っていなかったら、今の自分はないと思う人。それが民間教育援護基金メコン基金の創設者で、代表だった村岡さんです。そんな村岡さんが亡くなって13年。お葬式にも参列できず、やっとの思いで今日お弔いへ御伺いすることができました。

千歳から新十津川を経由して佐呂間に着いたのは午後5時過ぎ。まずは村岡さんのお墓参りです。もっと早くくればよかったと、ちょっと後悔しました。そして20数年ぶりに村岡さんのお宅へ。あの頃食事の世話をしてくれたお婆さんも鬼籍に移られておられました。変わっているようで、変わっていない? あれから20年以上が過ぎるんだ。時間の過ぎるのは本当に早いですね。あの時、中学生だった娘さんも今では30歳を過ぎたお母さんであり、立派な経営者さんになっておられました。

おいしい料理を頂き、深夜まで宴会は続きます。今だから話せる、語る事の出来る昔話も飛びだし時間が過ぎるのを忘れて村岡さんの過去を忍びました。今年は13年忌だそうです。あれこれバタバタしたけど、この節目の時に来れて良かった。
今はなくなったメコン基金ですが、この基金と村岡さんとの縁がなかったら大将はタイに居なかったと思います。
人生、いつ、どこで、どう変わるか分からないです。そして自分が思ったように行かないのも人生。そんなはずじゃなかった。そんな現実を楽しみながら、いつも自分らしく精一杯生きようと思います。
村岡家の皆さん、ほんとうにありがとうございました。また来ます。

千歳から新十津川を経由して佐呂間に着いたのは午後5時過ぎ。まずは村岡さんのお墓参りです。もっと早くくればよかったと、ちょっと後悔しました。そして20数年ぶりに村岡さんのお宅へ。あの頃食事の世話をしてくれたお婆さんも鬼籍に移られておられました。変わっているようで、変わっていない? あれから20年以上が過ぎるんだ。時間の過ぎるのは本当に早いですね。あの時、中学生だった娘さんも今では30歳を過ぎたお母さんであり、立派な経営者さんになっておられました。

おいしい料理を頂き、深夜まで宴会は続きます。今だから話せる、語る事の出来る昔話も飛びだし時間が過ぎるのを忘れて村岡さんの過去を忍びました。今年は13年忌だそうです。あれこれバタバタしたけど、この節目の時に来れて良かった。
今はなくなったメコン基金ですが、この基金と村岡さんとの縁がなかったら大将はタイに居なかったと思います。
人生、いつ、どこで、どう変わるか分からないです。そして自分が思ったように行かないのも人生。そんなはずじゃなかった。そんな現実を楽しみながら、いつも自分らしく精一杯生きようと思います。
村岡家の皆さん、ほんとうにありがとうございました。また来ます。
Posted by 頑張れ大将 at 21:52│Comments(0)
│大将の放浪記・日本編
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。